青山(1984)、銀座(1987)、代官山(1993)と、引き続き私たちがブティックをデザインしたミズレイコTOKYOの本部である。
移ろいやすいファッション界の中で、変わることのないポリシーを貫いて、変わることのない顧客の支持を受けている稀有なファッション企業である。私たちが手がけた一連の「ラフォーレミュージアム」に先立つ数年前、スペースを媒体(メディア)として交流することを意図した北九州の「NRCC(ニューロビン・カルチャーセンター)」(本誌8007)は、巨大なシリンダーの形態をもっており、そこには「ミズレイコTOKYO」と何ら共通点がないように見えるが、共に街区からの“変形=DEFORMATION”が行われている。
「NRCC」が、道路斜線と協同組合の「和」を表す「円」が結びついて、シリンダーを削ったような形態であるのに対して「ミズノレイコTOKYO」は、日影斜線と道路斜線、用途地域による分割線と敷地形状そして樹木が形態を自動的に決定している。